間もなくして討ち入りの準備が始まった。 準備ぐらいは手伝おうと、私は屯所を走り回る。というよりも……手伝うことでしか気を紛らわせなかった。空気がとても痛いから。 「、こちらの準備完了を広間にいる人間に伝えてきてくれ!」 「はいはい!」 私はほぼ使い走りだが、まぁそれでいいや。今日ぐらいは。 広間に行って言伝を伝える。お手伝いはこれで終わりと、私は隅っこにいた千鶴ちゃんのところに行った。 まだ、千鶴ちゃんの顔色はよろしくない。 「ちーづるちゃん!」 声をかけると、千鶴ちゃんはゆっくり私の顔を見た。 「ちゃん、お手伝いは?」 「うん、終わった。今日は私、こっちでお留守番だし…」 「そうなの? でも人手不足だって聞いたよ」 「あ、うん。……それでも私は、逆に足を引っ張るだけだから」 隊士の半分が腹痛で動ける状況じゃない。そんな中で討ち入りをするのだから、もはや笑い話にすらならない。 ……私は、ここでやっと思い出していたのだ。 今回のこの討ち入りは、私の知る…“池田屋事件”なんだ、と。 新選組は二組に分かれて池田屋に近藤さんたち10名、四国屋に土方さんたち24名とそれぞれ向かうらしい。 ……成功するって分かってるから黙っているけど、それでも……嫌な気分だった。 部屋の隅にいるせいか、千鶴ちゃんと私の存在にはだれも気付かない。 そんな時、話し声が聞こえてきた。この声は……斎藤と、原田さん? 「……そういえば、あいつらは使わないのか? 夜の任務だし、打ってつけだと思うんだが」 ……また、余計な情報の漏洩が始まった…! あいつらって…? 私と千鶴ちゃんは顔を見合わせて首を傾けた。 「おまえらが減らしたけど、まだ何人か残ってるはずだろ?」 「しばらく、実戦から遠ざけるらしい。調整に手間取っていると聞いたが」 ……いったい何の話をしているんだろう。 深刻な話なんだけど、私は好奇心に打ち勝てず、思わず聞き入ってしまう。 「……血に触れるたび、俺たちの指示も聞かずに狂われてはたまらん」 え……? 血に狂うって、確か…【失敗】のこと、だよね!? ああ、これはまさに聞いちゃいけない話だったんじゃないのか…ばか斎藤、空気読もうよ、このKY野郎。 私達の存在に気付けないほど馬鹿じゃないでしょうよ…原田さんもさぁ。 「……奴らも浮かばれねえな。戦うために選んだ道だろうに」 「左之。浮かばれないと言う表現は、死んだものに対して使うものだろう」 「ああ、別に死んでねえよな。むしろ」 滅多なことじゃあ死なねえし。 滅多なことでは死なない? 血に狂う? その単語が、何かに結び付けているようで気持ち悪かった。 分かりかけているようなのに、でも分からない。何か……私の時代でも聞いたような話な気がするのに。 「……ん? 雪村君に君、こんなところで何をしているのかね?」 はっと顔を上げると…そこには近藤さんが立っていた。 「あ、いや…!」 「その、じっとしていられなくて……」 私たちが慌てふためいていると近藤さんは笑っていた。 じっとしていられなかったと、千鶴ちゃん。私は手伝いが終わった事、そして胸の内を正直に話した。 「なるほどな。君たちの気持ちはよくわかる! 討ち入り前で、皆も高揚しているしな」 「……そうですよね」 だからこんなにも痛い空気なのだ。殺気だったり、畏怖だったりあるはずなのに、それを覆うように期待がある。 色んな空気が混ざり合って、とても重々しいものになってしまっているのは肌で感じられるほどだった。 「確か――君はここに残るんだったね?」 「はい、斎藤……組長に言われましたから」 苦笑して答えると「そうか」といい、そのまま千鶴ちゃんに視線が移された。 「どうかね、君も一緒に来るか?」 「え!?」 ま、まさか千鶴ちゃんにお誘いー!? 「一緒にって、討ち入りですか? 私が行っても足手まといになるだけで――」 「伝令役になってもらえるとありがたいんだが……。もちろん、君に無理はさせん。君も、組と一緒に実際の討ち入りには参加できんが…どうだ?」 「あ……」 池田屋が本命なのに、10名しかいない。その事実を分かってる私が、のうのうとここに残る。 それだけは、駄目だ。許されて言い訳が無い。 「……私は、残ります。残って体調不良の人を看ています」 千鶴ちゃんは首を横に振った。やはり、殺気立った隊士の中に残るのは苦だったのだろう。 それに医者だったお父様の手伝いをしてた千鶴ちゃんは、腹痛で動けない隊士に適切な処置ができる。 …そういうことを、土方さんも言ってたのかもしれない。 近藤さんはソレを咎めることも無く、大らかに笑っていた。ならば、私は…。 「行きます。刀は振れませんが、拳は振るえますし」 千鶴ちゃんがここで頑張るなら、私は現地で頑張ろう。 もう幾度と無く巡察を繰り返し、危ないところは見て来たのだ。今更怯えるものはない。 「そうか、ありがたい!」 満絵面の意味でそういう近藤さんに、私は胸のつっかえが取れたようだ。ちょっと…罪悪感がなくなったみたいで。 「千鶴ちゃん、私行ってくるね?」 千鶴ちゃんに微笑みながらそう言えば、彼女は大きく頷いてくれた。 「うん、気をつけてね!」 「怪我したら、千鶴ちゃんの手厚い看護を受けるよ、愛を込めてね!」 「怪我したら、だよ?」 にっこり笑う千鶴ちゃんは、いつ見ても、可愛いわ! 「じゃあ近藤さん、組長に言ってきます」 立ち上がり、私はそう言って斎藤のところへ向かう。 すでに原田さんとの話を終えたのか、斎藤は羽織を着て土方さんのところへ向かおうとしているところだった。 「斎藤ー!」 私は走って追いかけ、彼を呼び止める。 「どうした」 すぐに立ち止まり振り返った斎藤の表情は、いつもどおり冷静だった。 「あの、私……池田屋の手伝いに行く!」 私のいきなりの提案にも、当たり前のように無言。 怒ってる、のか? とりあえず事の趣旨を伝えなければだめだよね?? 「近藤さんに頼まれて、伝令役につくけど……いい?」 私の問いかけに斎藤は頷いた。 「局長の決定に俺が口出しする権限は無い」 「そっか」 まぁ、そうですよね。自分より上の立場の人間からの要請なわけだし……。 でも素っ気ない返事は、ちょっと悲しいわけでありまして――。 「……戸惑っていたものも、それで少しは吹っ切れたのだろう?」 え、今――? 私はびっくりしながら斎藤を見た。斎藤は……私が罪悪感を感じていたことを分かっていたのだ。 それがすごく意外で、そして嬉しくて…私は俯いた。 「……うん」 「何故俯く」 「うん、気にしないで。乙女の事情」 ……そういう私に斎藤は「そうか」と短く答えた。 なんで……なんで、そんなところまで見てるんだね。素っ気ないと思ったら、そうでなくて。よく、分からん、こいつ。 「とにかくだ。気を引き締めていろ。伝令とはいえ…命がけだ」 「もちろん!」 私は力強くう頷く。 「こちらが本命だとは限らない。いいか?」 「……うん」 ……最後の問いにだけは、ぎこちなく返事した。 「大丈夫、分かってるよ」 だって斎藤、本命は池田屋。あんた達のほうじゃない。 「……なら、いい」 …だから、頑張ってくる。 池田屋に行くメンバーは、近藤さん、沖田さん、永倉さん、平助の組だった。 私は緊張しながら彼らに同行する。これから、あの有名な事件が目の前で起こるのだ。 ――戌の刻。目的地に着いた私が、周辺を走り回り…戻ってきた時だった。 「……こっちが当たりか。まさか長州藩邸のすぐ裏で会合とはなあ」 「僕は最初からこっちだと思ってたけど。奴らは今までも、頻繁に池田屋を使ったし」 「だからって古高が捕まった晩に、わざわざ普段と同じ場所で集まるか? 普通は場所を変えるだろ? 常識的に考えて」 「じゃあ、奴らに常識が無かったんだね。実際こうして池田屋で会合してるわけだし?」 永倉さんと沖田さんで、重要な話題をまるで世間話でもするかのように話している。 そうだったんだ…長州は前々からここを利用してたんだ、それは初耳。 「っていうか、二人とも緊張感なしですね」 「別にないよ。何、君は緊張してるんだ?」 「してますよ、そりゃあ。だって……」 だって……その先は言えなかった。 「だって、何?」 「だって、だってなんだもん、です」 ちょっと可愛くごまかすと、永倉さんが頭を抱え負った。しかもすっごく残念そうなお顔をしてらっしゃる。 「かーっ、お前じゃ可愛さ半減だな」 「うるさいですよ、永倉さんめ! 私は大器晩成型です、可愛くなるのはこれから!」 「あーそりゃ楽しみだなー」 「うわ、信じてないですね? マジですから、見てろよ、色気仕掛けかましてやりますからー!」 そう誤魔化すが、内心はまたも膨れ上がってきた罪悪感に満たされつつあった。 だって、歴史的事件に立ち会うことになるのだから。緊張は当然なのだ。 加えて、ここが当たりだと最初からわかっていた。それを口にできないもどかしさは……なんとも言えない。 言ったところで、「なんでお前が知ってるんだ?」と疑われるだけで、信じてはもらえない、と思う。 あー……嫌だ、こんな気持ち! そう思ってると、平助が駆け寄ってきた。 「どうだった、? 会津藩とか所司代の役人、まだ来てなかった?」 「うん……来てない。この辺一帯見てまわったけど、誰もいないよ」 そう告げると、平助は顔を歪めて舌打ちをする。それだけ彼らのことが気に食わないのだろう。 「日暮れ頃にはとっくに連絡してたってのに、まだ動いてないとかなにやってんだよ……」 「落ち着けよ、平助。あんな奴ら役に立たねぇんだから、来ても来なくても一緒だろ?」 「……だけどさ、新八っつぁん。オレらだけで突入とか無謀だと思わねーの?」 平助がぼやくのも当然だ。こんな人数で討ち入りなんて、無謀だ。 「……今から四国屋に援軍を呼びますか?」 「いや、もう少しだけ会津や所司代を待つ」 近藤さんの指示に、今は従うしかない。 ……時は亥の刻。見上げた空は月の位置がだいぶ変わっている。待てども待てども、お役人は来る様子が無い。 近藤さんはさっき、山崎さんに言伝を頼んでいた。こちらが当たりだと、まず屯所にいる山南さんに伝えるように。 お役人は、きっとこない。そう悟ったからこその伝令。 「……さすがに、これはちょっと遅すぎるな」 今まで大らかだった永倉さんも、顔を顰めてそういった。沖田さんは近藤さんに指示を仰ぐ。 「近藤さん、どうします? これでみすみす逃しちゃったら無様ですよ?」 待っている間もじっと動かず、黙っていた近藤さん。そんな局長は私に不意に振り返った。 「君。少し、池田屋から離れていてくれるか」 それは、決意の表意でもあった。 「はい……逃げてきた腰抜け浪士は……蹴倒します」 「いい心がけだが、無茶はしないでくれ」 それだけ言って……近藤さんは池田屋に踏み入ったのだった。 「会津中将お預かり浪士隊、新選組。――詮議のため、宿内を改める!」 高らかな宣言に、宿内から女のものか男のものかともつかない悲鳴が上がる。 近藤さんの宣言に、沖田さんはにっと笑って手続いた。 「わざわざ大声で討ち入りを知らせちゃうとか、すごく近藤さんらしいよね」 その声はとても弾んでいた。 「いいんじゃねぇの? ……正々堂々名乗りを上げる。それが、討ち入りの定石ってもんだ」 「自分をわざわざ不利な状況に追い込むのが新八っつぁんの言う定石?」 続く永倉さん、平助も楽しげな表情をその顔に携えていた。 恐怖なんて微塵も感じさせない。……彼らは、とても強いから。 「御用改めである! 手向かいすれば、容赦なく斬り捨てる!」 新選組らしい台詞がさらなる合図になったのか、宿内で戦闘が始まっていた。 刀と刀のぶつかり合う音、絶え間なく続く人の怒号。階段を上る音、逆に落ちているような音。 劈くような……誰かの断末魔。 「ひぃいい!!」 ひとり、池田屋の入り口から逃げ出すものがいた。新選組の羽織は着てない…長州の人か! 「逃がさない!!」 彼の手に刀は認められない…ならば! 私は覚束ない足取りで逃げていく男を後ろから追いかけ蹴り倒す。衝撃によろめいて、そのままこけた男の鳩尾を殴り…気絶させた。 ふぅ、今のところは…逃げたのはこいつだけ…だね。 でも……中ではまだ戦いが続く。こいつのように逃げ出すものは珍しい。 ここにいるのは私のみ。残りの人員は裏方から逃げる者に当たっている…! 永倉さんの救援要請が聞こえている…私は中に入るべきなのか? 「…ッ」 意を決し、私は拳を握る。いくしか、ない…! そう一歩目を踏み出した時だった。 「ッ!」 うそ。 斎藤の声が、聞こえたのだ。 斎藤と原田さんがここにきていた…まさか、幻覚? そういう展開なの? そう思って目を擦ったけど、やっぱり現実で。少し遅れて、彼らの組の隊士がやってきた。 ああ! 援軍が来てくれた! 「でも、どうしてここに!?」 「千鶴が走って俺らのところに伝えに来たんだよ」 「千鶴ちゃんが…!?」 ……すごい、千鶴ちゃん。 聞けば山崎さんと共に伝令に走った千鶴ちゃんは、今は安全な土方さんと共にいるようだ。 「っとにかく、今は中に! 裏も少し苦戦してるみたいなんです!」 「――俺は正面から突入する」 「なら、俺は裏に回っておくわ」 私の情報に、2人はすんなり動いてくれた。原田さんは少数の自分の隊士を率いて裏口へ行く。 斎藤は中に入る前に私を見た。私が、彼についていこうとしたからだろう。 「お前はここで――」 「平気! 中に行って怪我した隊士の救護に回ります!」 隊士たちがいる前では尚更、女でいられない! 「危険だ」 「承知してる!」 「何故、意固地になる。俺の指示には従え」 「こんなところで何もしないよりはいい! さっき決意したばっかなんだから!」 食い下がるまいと斎藤を見る。 斎藤の苛立ちは分かってる。私が足手まといになるのは、もっと分かってる。 だけど、それ以上に譲れないのだ…私の決意は! 目で、わかるのならば…私の意志の堅さを分かってくれ! しばらくの逡巡の後、斎藤は息を吐き踵を返す。 「無理はするな。それと、俺の前には出るな」 「ッ了解!」 私はそう答えて、彼の背を追った。私も今は、羽織を着て戦う身だ。誠の一字を掲げるんだ…! 「突入する。……各自、俺に続け」 斎藤に鼓舞される形で、私たちは池田屋に正面から突入した。 「……っ!」 それは、予想以上の光景だった。血のにおいが鼻につき、目を覆いたくもなった。 辺りに、死体なのか怪我人なのかも分からない人々が転がっているのだ。 「――ぐあっ!」 真っ先に斎藤は、玄関付近にいた浪士を、抜き打ちの一撃で切り伏せた。 それはあまりに鮮やかすぎて、立ちくらみを起こしそうになった。が、駄目だ。私はここで、頑張るんだから! 「来てくれたか! これは心強い援軍だな!」 近藤さんは浪士と切り結びながら、獰猛な笑みを洩らして私たちを見た。 援護しようと近づく隊士らを、彼は手振りで制した。 「俺は大丈夫だ。二階の総司を見てやってくれ」 沖田さん……苦戦してるんだ。……でも気にかけるほど人員が避けなかったんだろう。 近藤さんも必死なんだ。必死ながらも、みんなを心配してる。 「よう、斎藤。残念だったな、おいしいとこはもらっちまったぜ」 「ふん、……今日は譲ってやる」 永倉さんは突入前と変わらない態度で、私はほっとした。でも…酷い怪我を負っている…! 「酷い怪我じゃないですか!」 「そりゃまぁな。だが俺よりも平助の方がひでぇもんだ」 「笑い事じゃ……ッ!!」 私は殺気を感じて振り返る。隙を見て浪士が斬りかかってきた…! 「うぉおおお!!」 鬼気迫る勢いの浪士を、斎藤が再び切り伏せた。 そしてそのまま、自分の隊士たちに指示を出した。 「誰ひとり逃がすな。手加減無用、手向かいするものは全て斬れ」 近藤さんの言った言葉よりも、さらに厳しい言葉だった。でもその表情は……あの冷静さなんて無く、苦渋が滲んでいたのだ。 ここでようやく分かった。斎藤が何で、苛立ってたのか。ここにいる新選組のみんなを案じていたから、だったんだ。 私が迷惑かける云々よりも、そちらが第一だったから…苛立ってたんだね。 「斎藤、早くみんなを手伝いに行って。怪我人の応急手当は私がやる!」 止血だったりは学校の保健で習った……実践の時はい今ぞ! 救急救護ォオ!! そう思って斎藤に声をかけたら「任せた」と少しだけ笑った。 |